違和感は何だったのか

件の話、結局辞任するオチになったのはまあ予想通りとして。
ただ、こういう発言が批判されるとき、どことなく違和感を覚えることがあった。
それが何なのかを考えていたが、辞任という結果を見て、少しだけ整理できたかもしれない。

差別をなくそうとしている人たちの目標は何なのか?

当然「差別をなくす」ことが目標だろう。
しかし今回の結果はその目標に向けて前進しているのだろうか?

考え方なんて人それぞれだし、一度固定化した文化が変化していくにも時間がかかるものだと思う。
そんなすぐに変わるわけがないのだから、急激な変化を求めると、ひずみが生まれるのは当然なのだ。相手は齢80を越えたおじいちゃんだぞ。
(まあそんな人を国際組織のトップに据えざるを得ない人材の少なさという問題も別にあるが…)

今回の結果は「考え方が違う人をひたすらに追い込んで排除する」というものにしか見えなかった。
「ああいう発言をしたら排除される」という罰だけがクローズアップされて、根底としてそういう考えが残るだけではないだろうか?
そういうのが溜まり溜まった結果が世界各地のネオナチとかではないのか?
何と言うか批判する人たちに許しの視点がまったく見えないのが、
いつも違和感として覚えていたのかもしれないのかな、と。

まあ辞任するのは残念ながら仕方ないが、
これからの世界はどんどん不寛容な世界になっていくんだろうな…